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伊泉 龍一 著作紹介

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■『タロット大全――歴史から図像まで』
 
『タロット大全――歴史から図像まで』
『タロット大全――歴史から図像まで』
伊泉龍一(著) 紀伊國屋書店
¥4,725(税込)
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【目次】
はじめに
第一章 タロットの現在形
1.タロットとはなんなのか?
■「古代カルタ」としてのタロット 
■タロット・カードの枚数と構成 
■一般的なタロット占いの方法

2.小アルカナのシンボリズム
■トランプ、スート、コート・カード 
■「万物の根源」としてのスート 
■スートのヴァリエーション 
■コート・カードの解釈論 
■コート・カードの枚数のヴァリエーション

3.大アルカナという鏡
■大アルカナの絵柄の謎 
■ユングとタロット、そしてフールズ・ジャーニー 
■ニューエイジ・ムーヴメントのさなかで 
■ ニューサイエンス、トランスパーソナル心理学、そして東洋へ 
■ 神智学から、魔女術、さらにティモシー・リアリーまで 
■ セラピー、瞑想のツールとしてのタロット 
■「水瓶座時代」のタロットたち
第二章 タロットの歴史
1.タロット占いの歴史
■ジプシーとタロット占い 
■タロット占いのはじまり 
■プレイング・カード占いの最初の記録 
■カード占いの起源の彼方 
■カード占いを作った男 
■プレイボーイ、カサノヴァが語る十三歳の彼の愛人によるカード占い 
■一七八一年、タロット新世紀の夜明け 
■ もしもロゼッタ・ストーンの解読がもう少し早かったら…… 
■エジプト化されたタロット・カード 
■タロットのエジプト起源説とフリーメーソン 
■M le C de M.***なる人物が語る、エジプト人のタロット占いの方法 
■食い違う二つのタロット古代エジプト起源説 
■タロット古代エジプト説のアイデアはどこから来たのか? 
■イリュミニスムの時代 
■『ヘルメス文書』に基づく宇宙創生のプロセスとタロット 
■サン・ジェルマンの弟子だと主張するタロット占いのオリジネイター 
■史上初の占い用タロット・パックとは 
■バスチーユ陥落のさなかで 
■政治家はやはり占い師を雇っている!? 
■最も有名な占い師は、いかにして最も有名になったか? 
■やはり占いに演出は必要か 
■占いの取締りと、透視術の黄金時代 
■なぜ占い師は女性が多いのか? 
■十九世紀、パリ最高の占い師の素顔 
■「トートの書の解釈会」のメンバーたちのその後 
■第三次産業としての占い 

2.オカルト・タロットの歴史

A パリ 一八五〇−一九三〇
■オカルティズムとは? 
■フランスでのオカルティズムの復興者 
■稀代のオカルティストの若き日々 
■社会主義と神秘思想の入り混じったもの 
■革命家はいかにしてオカルティストになったのか? 
■「高等魔術」としてのタロットと「低俗魔術」としてのタロット 
■カバラとはなにか? 
■イエズス会士アタナシス・キルヒャーが与えたタロットへの影響とは 
■カバラ、カバラ、カバラ…… 
■いったいユダヤなのか、エジプトなのか 
■科学と宗教のあいだを満たす〈星幽光(アストラル・ライト)〉 
■高等魔術、メスメリズム、ロマン主義、そして精神分析学 
■占い師だらけのパリ 
■念入りに書かれた嘘 
■占星術に奉仕するタロット 
■新プラトン主義者イアンブリコスは、そんなことを言っていないのに…… 
■〈書かれたもの〉としての「伝統」 
■世界を支配する「見えざる霊的導師」 
■イニシエーション結社と象徴派 
■甦る薔薇十字運動 
■十九世紀最大のオカルティストが果たせなかった未完のプロジェクトとは? 
■悪魔の寺院と魔術抗争 
■コズミック・ホイール 
■数の秘教的意味を解き明かす「神智学的減算」と「神智学的加算」 
■遂に登場したタロットの大統一理論なのだが、そもそも算数の計算が…… 
■複雑さへの異常な愛情 
■十七世紀の薔薇十字団が所有していた、すべてのことが書かれている一冊の書物 
■エジプティアン・タロットVSエジプティアン・タロット 
■最後の一人
B ロンドン 1886−1947
■古代エジプト説の衝撃は海を渡ったのか 
■イギリス薔薇十字教会とタロット 
■オカルティストにも仕事は必要である 
■イギリスでのオカルト・タロットのプロト・タイプ 
■タロットを勉強するなら黄金の夜明け団 
■秘密の「属性(アトリビューション)」 
■微妙な数合わせ 
■偉大な「高等魔術」の書には、著者による意図的な嘘が混っていた!? 
■サイファーMS 秘密から謎へ 
■凄まじき霊界通信 
■クロウリー登場 
■偽黄金の夜明け団 
■秘密の暴露とオカルト・タロットの大衆化のはじまり 
■タロット界で最も有名になった人 
■ついに登場するロングセラー・タロット 
■世紀のヒット商品を出したのに、借金に苦労した画家 
■二十世紀初頭に起こったタロット・カード革命 
■タロットを占いに使うなんてどうでもいい 
■グノーシス主義者にとってのタロット 
■古典的オカルト・タロットの終焉 
■占星術化されていくタロット 
■ポスト・ニュートン的なタロット理論 
■ビートルズのお気に入りの魔術師
C ロサンジェルス 一九一一−一九七〇
■ヘルメティック兄弟団とタロット 
■黄金の夜明け団の残響と深層心理学への接近 
■ゲームの終わり 
■ロサンジェルスの秘教的結社とタロット 
■オカルト・コマーシャリズム 
■タロットという開かれたテクスト 
■タロット・リーダーすべての母 
■まるで「マーフィーの法則」のようになってしまったタロット 
■オカルト・タロットはヨーロッパ中を駆け巡ったのか?

3.タロット・カードの歴史
■神が憎悪するタロットのゲーム 
■トライアンフのカード 
■十五世紀ミラノ公のタロット・カード 
■ヴィスコンティ家とスフォルッア家 
■現存する最古のタロット・パックは? 
■タロットの絵を描いた画家は誰なのか? 
■十五世紀の様々な手描きのタロット・カード 
■タロット・カードの起源の検証 
■十五世紀のタロット・カードの使用法 
■トリック・テイキング 
■プレイング・カード・パラダイム 
■もしやオカルティストたちの直観は当たっていたのか 
■少し遅かったフィレンツェ・アカデミー 
■タロット・カードの絵の主題は、聖杯伝説をもとにしているのか? 
■失われたカードの謎 

■手描きのタロットVS印刷されたタロット 
■トランプ・カードの本来の枚数とは? 
■トライアンフの行列 
■フランスでの初期のゲーム用のタロット・カード 
■マルセイユのタロットの起源 
■数が違えば意味も変わる 
■トランプ・カードの順番のヴァリエーション 
■ミラノからフランス、そしてヨーロッパ各地へ 
■フェラーラにおけるタロットの伝統の衰退 
■現在にまでに引き継がれているボローニャのタロットの伝統 
■まとめ
第三章 タロットの図像学
1.タロットの図像解釈における若干の方法論について
■二十世紀における解釈のパラダイムとしての〈元型〉 
■擬人像とアトリビュート 
■ジョヴァンニ・スジオの詩


2.各カードを解釈する
(一)ペテン師
■魔術師 
■カーニバル王 
■手品もしくはさいころ賭博 
■ギャンブラーからの嫌われ者
(二)女帝
■たしかに妊婦のように見えなくもないが 
(三)女教皇
■実在しない女教皇 
■女教皇ジャンヌ 
■異端者マンフレッダ 
■エジプトの女神イシス、あるいは古代の女預言者シビュラ
(四)皇帝
■神聖ローマ皇帝
(五)教皇
ゲームのなかの「教皇」
(六)愛
■翼のついた少年は天使ではない 
■クピドの目隠しの意味 
■同じ「愛」という言葉でもこれだけ違う 
(七)正義
■一つだけ失われた枢要徳
(八)凱旋車
■天上へと向かう翼の生えた二頭の馬 
■戦勝の凱旋
(九)剛毅
■寓意画としての「剛毅」 
■本当に画家の勘違いなのか? 
■実は、男とライオンは闘っていない
■ライオンと「本能」
(十)運命の車輪
■運命の女神フォルトゥーナ 
■回転する車輪
(十一) 老人
■砂時計からランタンへ 
■砂時計を持った「隠者」? 
■土星の星の下で
(十二) 吊るされた男
(十三) 死
■「死」のカードは『死の舞踏』を描いたものではない 
■「死神」は目隠しを外したのか? 
■わたしが終わりである
(十四)節制
■水で葡萄酒を薄めること
(十五)悪魔
■実はタロットの「悪魔」は怖くない?
(十六)火
■バベルの塔 ■「悪魔の家」か「神の家」か?
(十七)星
■「星」のカードは「希望」を意味してはいなかった
(十八)月
■壊れた弓を持つディアナ
(十九)太陽
■ 太陽をつかまえる?
(二十)天使
■最後の審判
(二十一)世界
■「永遠」の勝利 
■「世界」のカードの踊る女性は、実は男性だった 
■両性具有説 
■裸の女性の正体 
■運命の女神の勝利
(二十二)愚者
■ 愚行の寓意
おわりに

『タロット大全 歴史から図像まで』
(「おわりに」545−546頁より抜粋)
 以上のような現代のタロティストたちの思惑とは別に、最後にいちタロットファンとしてのわたし自身のタロット観を述べておこう。
 すでに序文で述べておいたことだが、わたしにとって、タロットは〈遊び〉である。誤解されかねないので言っておくと、「タロットは〈遊び〉である」というとき、タロットが真剣に取り上げるまでもないものという意味を込めて言っているのでない。
  なんといっても〈遊び〉には自由がある。〈遊び〉は義務によって強制されることはない。つまり、〈遊び〉は、日常の生活のなかで、絶対に「やらなければならない」必要なことではなく、むしろ「やらなくてもいい」不必要なことなのだ。たとえば、労働が生きていくために行わなければならないことだとしたら、〈遊び〉はそういった意味での必要性に迫られることはない。また、〈遊び〉は非生産的な活動であり、労働のようになにかを生み出すことを目的とせず、ひたすら時間を潰すために行われる。非生産的な労働は、労働としての価値を認められない。労働が利益を作り出すための目的を持ったものだとしたら、〈遊び〉は遊ぶこと以外になんら目的を持たない。たとえば、子供が鬼ごっこをして遊ぶのは、単にそれ自体を楽しむために行われる。それに対して、義務としていやいや行われる学校の勉強をさせられる際は、勉強すること自体を楽しむのではなく、成績を上げるため、試験のため、将来のため、そういった様々な別のことのためにおこなわれる。
  さらに、なによりもこれが肝心な点だが、〈遊び〉とは、「まじめ」と「ふまじめ」が同居した特殊な様態である。それにも関わらず、一般的には、労働を「まじめ」な活動と置き、〈遊び〉は「ふまじめ」と分類してしまいがちである。だが、これでは〈遊び〉の本質を見失ってしまう。なぜなら、〈遊び〉を最高度に楽しむためには、〈遊び〉はきわめて「まじめ」に行わなければならない。〈遊び〉は、適当に行われるのではなく、真剣に行われるからこそ面白い。しかし一方で、〈遊び〉には、しょせん〈遊び〉であるということをわかった上でおこなっているという意味で、「ふまじめ」さがつきまとう。
 たとえば、タロット占いを普通に楽しむ多くの人のなかにあるのは、「まじめ」と「ふまじめ」が一つとなった〈遊び〉の感覚なのではないだろうか。しょせん占いだと思いながらも、一方でドキドキしながら、その結果を待つ。これはタロットだけのことではない。どんな種類の占いであろうとも、それが楽しまれるとき、そこには必ずこのような〈遊び〉の心が必要だ。毎日の朝のテレビの星占いを、チェックしながら、一喜一憂して楽しむことできるのは、占いが〈遊び〉であることを失なっていない証である。
  逆に、占いから〈遊び〉の要素が、完全に失われてしまったところを想像してみていただきたい。占い結果は、百パーセント「まじめ」に受け取られる。占い師の言葉は絶対的なものになり、占いが人生を支配する。そのとき、まったくばかげたことにも、朝のテレビの占いの悪い結果は、その一日を絶望的なものにしてしまうだろう(もちろん、ありえないことだろうけれど)。
  タロットが〈遊び〉であり続けるかぎり、タロットは現在のタロティストたちの思惑である「有用性」というポジションとは相容れない存在であり続けるだろう。さきほども述べたように、〈遊び〉は、日常生活において、あえて「やらなくてもいい」不必要なものである。〈遊び〉は、現実の実利という観点からみたら不必要でどうでもいいもの、あるいは本質的に無駄なものである。しかし、不必要で無駄であるからこそ、けっして義務や強制になることのない〈遊び〉は、常に解放であり、自由であり、それゆえ、逆説的にも人々が求めるものとなるのだ。


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