手相術(手相占い)
手相術の歴史
■12世紀ルネサンス以降にはじまるヨーロッパの手相術
本サイトの「手相術とは」の項目で見たように、今日の一般的に広まっている手相術のメソッドは、占星術のシンボリズムを吸収することなくしては生まれなかったものであることは確かです。では、このような手相術は、いったいいつ頃から見られるようになったものなのでしょうか。
手相術の起源。それは古代へ遡る。と手相術の本ではしばしば主張されがちです。場合によっては、かのギリシャの哲学者アリストテレスが手相術の大家であったかのように述べられることもあります。しかしながら実際のところ、アリストテレスが手相術を本当に実践していたことはおろか、古代の記録の中において、今日のような手相術の理論が存在していた証拠すら見つかっていません。確かに、古代インド、あるいはギリシャ・ローマなどでも、今日の手相術のように体系化されていない断片的な「迷信」レベルの伝承としてならば、それが存在していたことを示す証拠はわずかながら存在します。けれども、それらは今日の手相術とは、その内容的にも、理論的にもほとんど関係がありません 。
ヨーロッパにおける手相術のはっきりとしたプロト・タイプが現れるのは、いわゆる「12世紀ルネサンス」の頃です。当時の手相術に関する写本の内容は、依然として断片的な知識の寄せ集めに過ぎないとは言え、おそらくそれらが14世紀辺りから占星術と結びつき、今日の体系化された手相術へと姿を変えていったのではないかと思われます。実際に、占星術のシンボリズムを応用した手相術に関する現存する最も古いテキストは、14世紀終わりのものとみなされている「スンマ・カイロマンティア(Summa Chiromantia)」という写本です。
■手相術の黄金時代へ
15世紀終わり頃になると、木版印刷された形として手相術の本が出回りはじめます。最も古いものとして知られているのは1475年にドイツのアウグスブルクで出版されたヨハネス・ハートリーブという人物による『手相術(Die Kunst Chiromantia)』です(左図参照)。
その後、印刷技術の広まりとともに、各地で手相術に関する書物が出版されるようになり、その知識はヨーロッパ各地の多くの人の元へと広まっていきます。そういった流れの中で、16世紀、そして17世紀にかけて、まさに手相術の黄金時代を迎えることとなります(右図参照)。
■手相術の衰退
しかしながら、手相術は18世紀に入り、大きく衰退していきます。その理由は、「占星術の歴史」のところで述べているように、いわゆる「科学革命」によって占星術を支えていた古代からの宇宙像が過去のものとされたことと関係しています。すなわち、知識人たちの間で、占星術自体が時代遅れのものとみなされることは、占星術のシンボリズムに支えられていた手相術も、同様のものとして省みられなくなっていったというわけです。
■手相術の復興
19世紀に入ると手相術は、異なる二つの方向性を目指すことで、息を吹き返し始めます。
一つは科学的なアプローチへと接近していく方向。これはフランスのカジミール・スタニスラス・ダルペンティニー(1798‐?)からはじまり、19世紀末に設立されることになる「ロンドン手相学協会」や、20世紀の手相術のバイブルとも称される『科学的手相術の法則(The Laws of Scientific Palmistry)』を書いたウィリアム・ベンハムへと引き継がれ、さらには占星術のシンボリズムから離れ、皮膚隆線に注目し「医学的手相学」を発展させたノエル・ジャケン(1893-1974)やベリル・ハッチンソン(1891-1981)らへと続いていきます。
もうひとつは19世紀のオカルティズムと手相術を結びつけ、占星術的手相術を復興させる方向。これは「タロットの歴史」の中で非常に重要なポジションを占めるエリファス・レヴィの弟子であったアドリアン・アドルフ・デバロール(1801-1886)からはじまる流れです。
今日、手相術は、伝統的な占星術的手相術のシンボリズムをベースにしながらも、19世紀後半以降の様々な手相術のメソッドを吸収しつつも、より現代に受け入れやすい形へと変わっていっています。
特に、古い時代の手相術の本に圧倒的に多かった「死」、「病い」、「事故」などの生まれもっての不運を示す印の記述が今日ではほとんど影を潜め、逆によりポジティヴな形でその人の才能や可能性を見いだすためのツールとしての有効性を強調するようになっています。
いずれにせよ、これらか未来、手相術の在り方が変化していったとしても、「人の手の形やしわに、その人の運命が刻まれている」という手相術独自のユニークなアイデアは、多くの人々を魅了し続けていくのではないでしょうか。
このことについて詳しくは、伊泉龍一、ジューン渋澤著『西洋手相術の世界』(駒草出版)の第二部の「歴史」を参照ください。